ごゆっくりどうぞ
尹 雄大(ゆん・うんで)氏「「要するに」って言わないで——本当の自分の思いに気づくとラクになる」https://akishoboshop.com/products/9784750518923?srsltid=AfmBOop2cAb-R_DteHYQOOwNqsDnzV2TW8f-34sHr_SU...

無駄なてきとー共感で褒めそやしまくって終わるような本ではなく、質実剛健本。
こういう本を待っていた
ときどき、『共感力を他人に求めるな』ということをひしひしと感じる。ただ、自分の中の他者さんには、あくどい「共感」ではなく、『ジャッジした際、下方に切り捨てられる自分の中の他者』に対して『こっちにも言い分がある』のをあたりきシャカリキと聞く内面の環境を育てられるか?みたいな。
私たちは生まれ落ちた場を選べないので、与えられた生育環境にまず適応しようとします。
ですから親や育ててくれた人の評価に適うような行動をとります。ここに良いも悪いもありません。ただサバイブするためにそうしてきました。
親や周囲の価値観に合わせようとするとき、自分の内から沸き起こる自然な表現は「そんなことをしてはダメ」「そんなことをすると恥ずかしいよ」と止められてしまったこともありました。
確かに社会を生きるためには必要な教えであったかもしれません。一方で「自分がそのままでいてはダメなんだ」という痛みを伴う体験をもたらしました。
厄介なことに、痛みを感じながらも与えられた教えの通り振舞えば、親や周囲は喜び、誉めてくれます。相手の評価に適うような価値観を身につけると、成長や向上と言われます。私が私でいられない価値観を大事にすることで得られるものは大きいのです。やがて「そうしなければいけない」という自分に対する命令を行うことを、自然とするようになります。こうして生まれた葛藤が物語を作り出します。

「「要するに」って言わないで——本当の自分の思いに気づくとラクになる」尹 雄大 亜紀書房
上の引用をノートにまとめている際、ふと『この文章をてがろぐに載せようかな?』と思い立ち、即座に『他人に自分をよく見せようとするためだけに起こす行動は恥ずかしいから止めよう』と思った。
しかし、本の内容を思い出して『他人に良く思われる行動をしてみればいいんでない?』って思った。
『他人に良く思われるだけに起こす行動』自体は中庸で、生育歴の中で誰かから『それは恥ずかしいことだからやめなさい』という情報を自分の中にセットアップしたから、『=恥ずかしいこと』となっている。
この一連の思考の流れは不思議な体験だった。
たぶん、フェリファブさんとか紀里谷和明さん等の本の内容が実体験として貫通した感じ。

んだけど、続き読むのめんどい

五味太郎さんの車のハンドルはタイヤが動いているときに切ると楽っていう話の所で
ありもしない「うまく話せる」を自分に押し付けていないあれこれ考えてからではなく、感じていることをそのまま言葉にする。っていうのなんかいいね。
頭の中の棚卸というか、描き出しで、『何考えてるか自分でもわからんわ…´-`』って車のタイヤを動かすように、まずアウトプットしてみる。
たぶん、それは、恥ずかしいことだって私はちょっと感じる。
そのスタートラインを切った後に待ち構えている『恥』の観念がネックとなって、エンジンを入れられない。
その羞恥心をやり過ごすのは裏を返せば、『スタートラインを切った』という表の顔なんだろうな
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現状を認めないとは、自分を拒否することです。
自分の言うことを受け入れない。自分の感性を受け入れない。禁止と束縛と拒絶の中で生きるのは、つらいことです。
(略)
自分が自分の困りごとに対して言葉をかけるとき、そう言われた人は何を一番最初に言うでしょう。何を言いたがっているのでしょうか。
そうやって自分の動きが言葉になるだけで、十分ないたわりになると思います。
この文に救われる思いがした
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