2026/04/03 「自分の等身大以上の物を求めるから、コンプレックスを持ってしまう」 https://diamond.jp/articles/-/320124 本「「普通」につけるくすり」のサンプルを読んでいた。 普通であってはいけない という一文があって、『普通』とは何だろう?と思った。 幼稚園児のあるとき、自分から友達の輪に入れなかった出来事があった。そのことで母親に言葉の暴力でボコボコにされた。 『恥ずかしい!』『みっともない!』『なんで出来ないんだ!』『なにやってんだ!』『馬鹿野郎!』『ふざけんな!』キンキン声で喚かれた。 あの時の、『友達の輪に入って行けない』っていうのが、自分にとっての『普通』なんじゃないかな?って気づいたんだよね。今さっき。 自分の等身大。 等身大の自分をさらけ出す。 それって、『他人の価値基準』では『恥ずかしくて、みっともなくて、出来なきゃダメなこと』ということになっているけどさ、 自分の価値基準では『普通』に『当たり前のこと』だなあ。 あの幼稚園児の、あのとき、暴言のショックと共に『"母親の"基準』が自分の中に根付いちゃって、それ以降、その基準を『当たり前』だと思っているだけなんだなあ。 "『友達の輪に入って行けない』っていうのが、自分にとっての『普通』" うーん、今まで気づかなかった。 それ、社会的に駄目なことだと思っていたけど、自分にとっての『普通』なだけだな? 今も、それが普通だけど、人生の一端で『自分は○○だ』と気づいたとしても、変えられる部分は変えられるし、 『変えられるか変えられないかはわからないが、ひとまず変えれるかやってみよう』と実験思考が大切だな。 もちろん、変えられなかったと気づくこともあるだろう。 学生時代は友達に恵まれたけど、その友達とやらにも一切合切自己開示できず、上辺の付き合いで終わった。 それが自分にとっての『当時』かつ『今』の『普通』。 他人の誰かから見れば、『ダメ人間』。 でも、これが自分の『普通』。 んでだ、本題。 絵や漫画などの制作で、自分の下手な絵を認められない・見るのが身を切られるようにツラい、という問題は、 『誰かの価値基準』では、『下手』。 でも、自分の価値基準では、『普通』…なんだな。 人生の過去のどこかで、何らかによって身につけた『上手い下手の他人の価値基準』。 その上手い下手の基準と、今の、歪ながら『普通』である、自分の絵。 あ~、普通なのか。これ。 話が変わるけど、時折、感じることがある。 他人が持っている『何らか』が正解に見えて、『常に不正解の自分』はその他人を模倣したり、その『何らか』を手に入れてみる。 しかし、自分のモノになった時点で、『不正解』に成り下がる。 常に自分は不正解。の焦燥。 それって、『他人の普通』が正しくて、『等身大の自分の普通』が間違いって何も考えずに信じ切っているからだ。 もし、私が『友達ほしい!作ろ!』ってなったら、誰かの基準である『友達がいない人はダメ人間』などの価値基準に傾倒してみてもいいかも。実験思考は大切。 価値基準は、それ自体は『価値基準』でしかない。そこに、自分の『あるがままで○○したい』等の願望が入ると、他人の価値基準に準じるたび、HP削られる。 こういうこと考えるときは必ず『自分はプライドが高すぎる』って思うけど、その『プライドが高い』のさえ、自分にとっての『普通』、誰かにとっての『欠点』。 プライドが高いことが悪いことだと感じるけど、それを『今の』『普通』であることを受け入れることが『プライドがほどよく低い』を達成する第一歩なんだろうなあ。 自分の『能力に反比例してプライドが高い』という事実って、オエー鳥のゲロを逆マーライオンするような拒否感なんだけど、『いいえ、それが『今の普通』』とネットにゲロれたら、 いわば、『ありのままの自分を認める』ひいては『ありのままの下手さを認められた』の第一歩ってことなんだろうね。 言いたいことぼやけたけど、大事なのは、 ・『他人基準から見れば』→下手 ・『自分基準から見れば』→どうあろうとも、どのような出来であろうとも『普通』 フツーのことだから、モジモジしてないで(他人基準で)下手な漫画、描いちゃいなってこと。(※まだプロット終わってない) 漫画のエロシーン描こうとしてエロ描きたくないってなったからラーメンのシーンを描こうとしたwip(作品名) edit
本「「普通」につけるくすり」のサンプルを読んでいた。
という一文があって、『普通』とは何だろう?と思った。
幼稚園児のあるとき、自分から友達の輪に入れなかった出来事があった。そのことで母親に言葉の暴力でボコボコにされた。
『恥ずかしい!』『みっともない!』『なんで出来ないんだ!』『なにやってんだ!』『馬鹿野郎!』『ふざけんな!』キンキン声で喚かれた。
あの時の、『友達の輪に入って行けない』っていうのが、自分にとっての『普通』なんじゃないかな?って気づいたんだよね。今さっき。
自分の等身大。
等身大の自分をさらけ出す。
それって、『他人の価値基準』では『恥ずかしくて、みっともなくて、出来なきゃダメなこと』ということになっているけどさ、
自分の価値基準では『普通』に『当たり前のこと』だなあ。
あの幼稚園児の、あのとき、暴言のショックと共に『"母親の"基準』が自分の中に根付いちゃって、それ以降、その基準を『当たり前』だと思っているだけなんだなあ。
"『友達の輪に入って行けない』っていうのが、自分にとっての『普通』"
うーん、今まで気づかなかった。
それ、社会的に駄目なことだと思っていたけど、自分にとっての『普通』なだけだな?
今も、それが普通だけど、人生の一端で『自分は○○だ』と気づいたとしても、変えられる部分は変えられるし、
『変えられるか変えられないかはわからないが、ひとまず変えれるかやってみよう』と実験思考が大切だな。
もちろん、変えられなかったと気づくこともあるだろう。
学生時代は友達に恵まれたけど、その友達とやらにも一切合切自己開示できず、上辺の付き合いで終わった。
それが自分にとっての『当時』かつ『今』の『普通』。
他人の誰かから見れば、『ダメ人間』。
でも、これが自分の『普通』。
んでだ、本題。
絵や漫画などの制作で、自分の下手な絵を認められない・見るのが身を切られるようにツラい、という問題は、
『誰かの価値基準』では、『下手』。
でも、自分の価値基準では、『普通』…なんだな。
人生の過去のどこかで、何らかによって身につけた『上手い下手の他人の価値基準』。
その上手い下手の基準と、今の、歪ながら『普通』である、自分の絵。
あ~、普通なのか。これ。
話が変わるけど、時折、感じることがある。
他人が持っている『何らか』が正解に見えて、『常に不正解の自分』はその他人を模倣したり、その『何らか』を手に入れてみる。
しかし、自分のモノになった時点で、『不正解』に成り下がる。
常に自分は不正解。の焦燥。
それって、『他人の普通』が正しくて、『等身大の自分の普通』が間違いって何も考えずに信じ切っているからだ。
もし、私が『友達ほしい!作ろ!』ってなったら、誰かの基準である『友達がいない人はダメ人間』などの価値基準に傾倒してみてもいいかも。実験思考は大切。
価値基準は、それ自体は『価値基準』でしかない。そこに、自分の『あるがままで○○したい』等の願望が入ると、他人の価値基準に準じるたび、HP削られる。
こういうこと考えるときは必ず『自分はプライドが高すぎる』って思うけど、その『プライドが高い』のさえ、自分にとっての『普通』、誰かにとっての『欠点』。
プライドが高いことが悪いことだと感じるけど、それを『今の』『普通』であることを受け入れることが『プライドがほどよく低い』を達成する第一歩なんだろうなあ。
自分の『能力に反比例してプライドが高い』という事実って、オエー鳥のゲロを逆マーライオンするような拒否感なんだけど、『いいえ、それが『今の普通』』とネットにゲロれたら、
いわば、『ありのままの自分を認める』ひいては『ありのままの下手さを認められた』の第一歩ってことなんだろうね。
言いたいことぼやけたけど、大事なのは、
・『他人基準から見れば』→下手
・『自分基準から見れば』→どうあろうとも、どのような出来であろうとも『普通』
フツーのことだから、モジモジしてないで(他人基準で)下手な漫画、描いちゃいなってこと。(※まだプロット終わってない)
漫画のエロシーン描こうとしてエロ描きたくないってなったからラーメンのシーンを描こうとしたwip(作品名)