年末年始に「欲望の見つけ方 お金・恋愛・キャリア」ルーク バージスhttps://www.amazon.co.jp/dp/B0BVQNR1YP という本を買って読んだ。
面白かったというか、かなりためになった。
自分としては本書の内容を『今の自分がSNSでのいいねを欲しているのも、自分以外の誰かがいいねを欲したのを見たからであって、自身が本心から深く望んで欲したわけではない』という風に受け取った。
なんか、本書を読んだら、いいね要らねえなって実感できた。
特に、ミシュランガイドの格付けシステムに対して背を向けたシェフの話を読んで、他者から承認を受けることに必死になる必要ないな、って思えた。
3つ星を取ったシェフについてこう書かれている。
「(略)しばらくして彼とその妻はミシュランのシステムを、極上のものを奨励するしくみではなく、プレッシャーをかけて従順を求めるしくみだと感じるようになった。」
そうしてシェフはミシュランの星を返上するんだけど、その際、本の著者は「もし獲得していた星が二つで、はじめて三つ星をとれるかどうかの瀬戸際にいたとしたら星を返上するのは難しかっただろうか。それはほぼ間違いなく、そのとおりだろう。この問題は、模倣のシステムの一部になっている人――つまり全員――が直面する」と書いている。
3つ星に手が届いていない状態で返上していたなら、イソップ寓話のすっぱい葡萄よろしく、負け犬の遠吠えと世間は評すかもしれないという恐怖が襲う。
それは、底辺絵師の私でもそうで、一桁いいねしか取れていない私が『いいねシステムから離れま~~~す!いいねに反目しま~~~す!』ってぼやいていたら、その発言を見た"いいねのゲームに興じている人"は「だっさwww」ってなるよね、そりゃ。
そこを本書では「セバスチャン・ブラスはブドウを味わい、それは酸っぱかった。あなたは自分で味わうまで信じないだろうか。」と書かれていた。
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突然だけど私の過去話を聞いてほしい。
幼少期、ガキの私は夏休みにTVで「ロードス島戦記」の再放送が毎年繰り返されていたのをいつの夏も見ていた。
もちろんアニメは面白い。でも一番気になったのはディードリットのえちえち具合でした。えちえちおねえさん、、、いいな♡ハアハア(*´Д`)って。
情熱はそこで留まらず、もっとえちえちおねえさんが見たい!と思ったのですが、当時はネットなんてものはなく自分で描くしかない。
んで、描き始めました。そーれはもう、情熱と恍惚の日々でした。
試行錯誤の日々です。
どう描けばえちえちになるのか?描きまくって、上手く描けたか上手くいかなかったかを判断して、上手く描けたらこれ、エチチ!♡と喜んで、、、
楽しい原体験です。
翻って令和の今は、いいねが第一優先であり『自分が描いていて楽しいか?』『自分を喜ばせるお絵描きができているか?』なんてスミのスミに追いやられていて…。

なんか、本書を読んで目が覚めたかも。
醒めたというと陰謀論者みたいでキモイ。ボインのインボー(漫画のBBJ)ならわかるけど。
でも『SNSで高いいねを取らなければならない』っていうのも1つの固定観念でしかないんだなあってよく理解した。
本書では「濃い欲望」「薄い欲望」という形で欲望を論じている。
薄い欲望というのは、他者が欲していたから自分も欲したもの。
濃い欲望というのは、自身の根源的な欲。

去年の11月頃に「人生のレールを外れる衝動のみつけかた」谷川嘉浩https://www.amazon.co.jp/dp/B0D14372BM を読んだ。
本書に「リスクとは、自分の個人的な偏りに適合しない生き方のこと」という一文があった。
今の私は、幼少期のあのキモオタお絵描きムーブを一切合切無視して生きてきていて、そのことを幼少期の私だけでなく、今の私も悲しんでいるから今現在お絵描きが楽しくないのかもな。