1つ下の日記に感じる所のあった方は、はてブ「絵を描くのを諦めきれず出戻ってきた話」https://anond.hatelabo.jp/20180130030322 と、「絵を描くのを諦めきれず出戻ってきた話から1年」https://anond.hatelabo.jp/20190130230928の2つの記事も見てほしい。
最初の記事で増田は「書きたい絵なんてのはもともとなかった。」って吐き捨てているだけど、2つ目の記事でわかるように、描きたいものは「確かにある」。
描きたいものが心の隅に隠れていた。それはなぜ隠れていたかというと、
「目立たないように。ダサいと思われないように。だってそれは何よりも恥ずかしいことで、
本当の自分を少しでも出してしまってもしダメだった時、自分の全てを否定されたような気分になり、傷つくのがわかっていたから。」
と他人の目を気にしていたのが理由と思われる。
自分もそういう他人の目を異常に気にする人間ですが、これは大半の人がそうだと思う。
特に自分は他人の感情が少しでも時化(しけ)になるのが怖い。だから他人の感情を荒立ててはならないと必死でおべっかを使てしまう癖がある。
だから、自分が出せない。出したいけど出せない本心を出さないことを必死で守ってきた過去がある。
そんな時、「筆子ジャーナル」https://minimalist-fudeko.com/be-more-assertive/
「どんなにがんばったところで、すべての人から好かれることは無理だし、その必要もありません。
私たちは、周囲の人すべてを愛する必要もなければ、すべての人から愛される必要もないのです。
そんなことより、自分が自分を愛せないほうがよっぽど問題ではないでしょうか?」
という文章に救われる思いがした。
「ザ・ワーク」という本に「自分の領域・相手の領域・神の領域」という考え方が載っていた。
自分は、相手の感情という「相手の領域」をどうにかしなければ、と必死だったんだ。
でも、自分の領域でない以上、自分にはコントロール不可能。
自分の言行または描いた絵で他人の感情が時化になったか凪になったかは他人の問題。自分が必死でフォローやリカバリーをする必要はない。
すべての人間にいい顔をしなくていい。しようとしても荒唐無稽で非現実的な絵空事でしかない。

最近、kindle売り場を見ていたら「うさぎのみみちゃん」さんの本を見かけた。
数年前に炎上した方だけど、それでも売られている本のレビューには共感する声も多い。
それを見ると、ああ~別に誰かに失礼な発言しても、迷惑かけても、大半に嫌われても、"別に大丈夫なんだな"って奇妙な肯定感が得られる。(笑えないけどほっこりしてしまう)

「期待」しすぎているんだ、私は。
自分にも他人にも。
他人に好かれなきゃと好かれることを期待すると、自分の意見を言うのがものすごく怖くなる。
自分は上手く描けなきゃと上手く描くことを期待すると、描くのがものすごく怖くなる。

何を言おうとも何をしようとも私は嫌われているし、何も言わず何もしなくとも私はきっちり嫌われている。

下手さについては、Yahoo!知恵袋https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10285934850
「絵を描いても描かなくても下手だし失敗してるんです。じゃあ描いてレベリングした方が下手じゃなくなるし失敗しなくなる可能性が上がってラッキーじゃないですか。」
でFA。